正しさがいつでも正義じゃないってこと
社会のなかでは正当性よりも都合の良さが優先されるときが多い
正論を振りかざす人よりも空気を読んで間違いを正さない人の方が社会ではうまくやっていけるのかもしれない
これは私の中で結構衝撃的な出来事で
今までの学生生活で学んできたことはさ、間違えることはイコール良くないことなのよ
テストも、模試もいかに点を取るかって話じゃん 要はいかに点を落とさない、正しい答えを書いて間違いを減らすかって練習を幾度となくさせられて まるでそれが常識だと思ってたから
社会に出ると物事の正しさよりも都合の良さが優先される場合が圧倒的に多いように感じる
社会に出てないガキが何を言ってんだ、という感じだが 通信の高校に入って、結構学んだことが多い
今までの成績とかテストやらなんやらの重苦しくて面倒臭いしがらみから抜け出して 与えられたたくさんの時間で私なりに考えてみた
人間はロボットじゃないから結構グレーゾーンが多い 正しいか正しくないかの間にはどちらとも決められないような領域がたくさんある
プログラミングのようにきっちり行動する人間っていない
あとみんな結構適当にやってる
かなり適当に生きてても生きられてる
むしろ程々ぐらいにしておかないと生きるのって無理なのかもなー
完璧主義を拗らせてたから 今まで全部完璧にやろうとしてたしそうじゃないと自分を許せなかったけど 今考えると別に全然完璧じゃなくてもいい そもそも完璧なんてものはないし 社会において完璧かどうかはさほど重要ではないのでは? 100%の出来具合で時間をかけて提出するよりも60〜70%くらいの出来具合でパパッと提出する方が優先される
勉強できる=仕事ができるは全然イコールじゃなくて そこにはあまり相関はないのではと思った
勿論学をつけるのも重要だとは思うけど 答えが出ないままひたすら考え続ける忍耐のような学問の世界と、結果を求める社会ではまた求められているスキルも違うんだと
で、私はおそらく学問で求められるような能力よりも社会で求められてる能力の方があるのかもしれない(比較して見れば)
人の能力には得手不得手が必ずあって、それがたまたま学問の領域で発揮されるかされないかだけの話なのに、それでぐちぐち言う奴らはうーんと思いました
前の学校の教師も生徒も皆そうだった
つくづく苦手でした
また気づきがあったらメモしとく じゃ